うさと研修会と うさとのバックヤード


2017年10月に入り、
ふたたび、京都で、
今度は、研修会が、ありました
(ご参考:「 うさと展コーディネーター説明会1
  「 うさと展コーディネーター説明会2 」))。
 
 
内容としては、
 「うさと展の、準備・実践・片づけなど、運営の仕方」
 「竹ラックの組み方」
 「服の、畳み方」
 「服の、箱への入れ方」
と、

実際にうさと展を 主催するにあたって、
具体的に、
知っておかなければいけないこと、
できなければいけないこと、

の、研修です。

これが終わると、
いよいよ、うさと展の主催が、できる段階に入ります。
 
 
といっても、
主催うさと展の、最初の2回は、
「共催うさと展」で、

ベテランの、先輩コーディネーターの方に、
「共催者」として、
うさと展に、いっしょに居ていただき、

そして、
実質的には、
その方に、教えていただき、指摘していただきながら、
うさと展運営の方法を、実践の場で、教えていただきます。

おそらく、どなたにとっても、
少なくとも、僕にとっては、間違いなく、

「共催」して、実際の場で教えていただかないと、
自分たちだけで、うさと展をするようには、成れないと思います。

「共催うさと展」を経て、
それではじめて、自分たちだけで できるように なれるかどうか、
くらいだと、思ってます。

なので、このシステムは、
僕たちにとっては、とてもありがたいと、思いました。
 
 
さて、

当日の、京都は、
小雨降る、肌寒い日でした。

でも、
興奮気味で、気持ちは高ぶっていたため、
薄着でも、問題なく、

そして、いつものように、
京都うさと店に、向かいました。
 
 
「いつものように」というのは、
過去記事「 上賀茂神社 式年遷宮 」にも、書きましたが、

本業である、
津留晃一の世界 」の活動で、

年に2回ほど、
大阪に、伺っていて、

その際には、
必ず、京都うさと店に、伺っているからです。

なので、
いつも利用させていただいている宿から、
京都うさと店に向かった、その日は、

僕にとっては、
まさに、「いつものように」でした ^^ 。
 
 
ところで、みなさん。

みなさんは、
京都うさと店には、行かれたことが、ありますか?

お店の概観は、
こんな感じです。

 
そして、お店の中は、
その日は、こんな感じでした。

 
 
僕が伺うようになってからも、
一度、店舗改装で、狭くなっていて、

はっきり言って、
お店そのものも、さほど広くはなく、

展示されている商品数は、
各地での展示会よりも、
けっこう、少な目です。

ですから、
お近くで、うさと展に行くことができるのでしたら、
わざわざ、京都うさと店に行かれる必要は、無いと思います。

これ、
うさとジャパンのスタッフの方々も、
そう、おっしゃってます。
 
 
ただ、
僕は、
京都うさと店、好きなんですよねぇ〜 ^^ 。

「何が」好きなのか、
よく分からないんですが、

その「雰囲気」が、
やっぱり、いいのかなぁ?

とにかく、好きで、

なので、大阪に行く機会があるときには、
必ず、伺っています。

あと、
お店に居る、スタッフの、
みたにさんと お話ができるのが、大好きです。

やはり、商品知識も豊富ですし、
なにより、最近の商品情報には、とても詳しいです。

まあ、お立場的に、それは、当然なのかもしれませんが、
加えて、
お人柄が、素晴らしいので、
お話しできるのは、とっても楽しいし、勉強にもなります。

なので、
僕は、京都うさと店、大好きです!

という感じで、
「わざわざ行く必要」は無いと、僕も思いますが、
でも、
「行く機会がある」のなら、ぜひ、行ってみてください。
 
 
さて、
その日は、

お店の、開店時間前に、
伺いました。

そして、
その日は、
いつもと違い、

お店の中を、
素通りして、

お店の裏の、
うさとジャパンの事務所、
および、
うさとの倉庫に、入りました。

人生で、
はじめて、
そこに、入れました〜〜〜! ^^v
 
 
4年間、
「うさと、大好き!!」
な人間だった、
僕には、

もう、それは、
夢のような、時間でした *^^* 。

何となくのイメージ、そのままに、
ラックが、所狭しと、いっぱいに並び、

そこに、
うさとの服が、
文字通り、山積みされていました〜!
 


あぁ、まるで、天国〜 ^^

 
 
「山積み」といっても、
商品量として、多いため、積まれているわけですが、

でも、どれも、
アイテムごとに、分けられ、
そして、きちんと畳まれ、きちんと積まれていて、

分かっていたことですが、
改めて、「さすが、しっかりされているなぁ」と、感心しました。
 

 
 
「芸術作品」そのものである、
うさとの服を、

スタッフのみなさん、全員が、
きっちりと、大切に、扱ってらっしゃることが、

見て取れ、感じて取れました。

改めて、
嬉しいとともに、
身の引き締まる思いでした。
 
 
ちなみに、
この写真に写っているのは、
一つの展示会に送られる、商品全体です。

一つのうさと展では、
おおよそ、250着ほどの うさと服が、
展示販売されます。

それが、まとめられていると、
こんな感じです。

 
 
この日は、
前回の説明会でもご一緒だった
(過去記事「 うさと展コーディネーター説明会2 」)

愛宕さん、有馬さん、操さんたちと、
今回も、ご一緒でした。

こちらの みなさんとは、
「うさと展コーディネーター同期」、ですね ^^
ご縁を ありがたく感じます。
 
 
さて、
研修では、

「うさと展運営について」の、
具体的な手続きや、作業に関しての説明のほか、

「竹ラックの組み方」
「服の、畳み方」
「服の、運搬用ボックスへの入れ方・積み方」
を、
習いました。
 
 
うさとの服には、
ご存知のとおり、

とても凝ったデザインの服が、
多数、ありますよね。

特に、
丸く、ラウンドした形のもの、
生地を、たくさん使っているものなどは、

畳むのが、とっても難しく、

また、
それを、箱に、皺にならないように詰めるのが、

これまた、とても難しかったです。
 
 
実は、その研修の前に、
神楽坂での、渡辺真美さん のうさと展にお邪魔して、
片づけを、手伝わせていただいていました。

なので、
「服を畳むこと」「畳んだ服を、箱に詰めること」
は、
初めてではなかったのですが、

それでも、
何度やっても、
なかなか、コツを掴めず、要領を得ず、
これ、難しいです。

もう、とにかく、
時間を気にしないで済むように、スケジュールを立て、
そして、とにかく、ゆっくり、丁寧に、行い、
しかも、それを、回数重ねて、慣れていくしかなさそうです。
 
 
これは、
その、研修の際に、言われたことなのですが、

自分が、うさとに、送り戻した服は、
次の展示会で、みなさまの前に、商品として、展示されるものです。

そう考えると、
やはり、気を抜かず、できる限り、しっかりと丁寧に扱わなければ。

また、
自分の展示会に、来てくれた、うさと服は、
その前の展示会の方が、しっかりと取り扱ってくださったものです。

そして、もちろん、
その前に、日本・京都に来る前には、

タイ・ラオスの、たくさんの方々が、
想いを込め、手をかけて、作ってくださったものです。

そのことを、
今後、うさとに携わり続ける限り、
肝に銘じ、忘れないようにしよう、
と、思いました。


.

竹ラックと 久保田直子さん

 
うさと展コーディネーターに 応募したのが、
2017年の、(確か)5月。

そして、
2017年8月に、
コーディネーター説明会を 受けるまで
( 過去記事「 うさと展コーディネーター説明会1 」 )、

正確な事情などが分からないので、
既存のコーディネーターさんたちには、
応募したことを、お話しませんでした。
 
 
ただ、そんな中、
6月に伺った、
松戸での、すなべさんの、うさと展で、

 「いたきさん、
  最近、なにか、動きがありませんでした ^^ ?」

と、
声をかけられ ^^; 、

すなべさんは、
すでにご存知だったことを、知りました。

また、その際には、
僕たちの想いを、歓迎してくださって、

そして、しかも、すなべさんの方から、
共催コーディネーターさんを、買って出てくださったのでした

(すなべさん、本当に、ありがとうございました)。
 
 
さて、そして、
8月の説明会が終わり、

僕たちが、コーディネーターになる動きが、
正式に、流れはじめたところで、

これまで、ご縁をいただき、お世話になってきた、
既存のコーディネーターさん方に、
機会を見つけては、ご連絡・ご挨拶をさせていただいたのですが、

そんな中、
メールでご報告をした、
久保田直子さんからは、

僕たちが、コーディネーターになることを、
歓迎してくださる 内容とともに、
びっくりする お知らせを、受け取りました。
 

夫の仕事の関係で、フランスに行くことになり、
コーディネーターを、いったんお休みすることになりました

 
はじめての「うさと展」として、
石川さんの、八ヶ岳での「うさと展」に伺った後
( 過去記事「 うさとの服との出会い2 」)、

僕たちにとって、
人生で2度目の、「うさと展」として、

新宿での、
滝本さんと 直子さん(当時は「うさとジャパン主催」という名称でした)の、
「うさと展」に伺って以来、

直子さんには、
とっても、お世話になって きていました。
 
 
いつも、明るく、優しく、親切に、
僕たちに、接してくださり、

また、「うさと」のこと、「うさと服」のこと、
コーディネートのことなどを、
いろいろと、教えてくださいました。

僕たちも、
直子さんの「うさと展」に伺うことを、
いつも、とても楽しみにしていました。
 
 
それが、

僕らが、コーディネーターになる、
そのタイミングで、

まるで、入れ替わるかのように、
直子さんが、コーディネーターを 休業されるなんて、

想像していなかった展開に、
とてもビックリしました。

コーディネーターになった暁には、
先輩として、いろいろと、教えていただこうと、期待していたのに …

いえ、そんなより、
「直子さんの『うさと展』」に、
(少なくともしばらくは)行けなくなってしまう …

そのことが、
単純に、ショックでした。
 
 
かといって、
僕たちには、どうすることもできないことと、

ただ、残念に思っていると、

直子さんの方から、
こんなご提案を いただきました。
 

「竹ラック」を使わなくなってしまうので、
引き取っていただけませんか?

 
 
「うさと展」に行かれたことのある方は、ご存知のとおり、
うさとの服は、
竹で組まれたラックに、掛けて、展示されていますよね。

あの、竹ラックは、
コーディネーターさんが、それぞれ、お持ちで、

それを、展示会の度ごとに、
組んで、設置されているのですが、

その竹ラックを、
なんと、譲ってくださるというのです!

僕たちも、始めるにあたっては、
購入しなければ いけませんでしたので、
こんなありがたいことは、ありません。

二つ返事で、
引き取らせていただくことにしました。
 
 
そして、加えて、
それによって、竹ラックを引き継ぐことによって、
なにか、

直子さんがされていた 活動を、
僕たちが、引き継がせていただくような、

「気持ち」的には、
何か、そんな気持ちに、勝手にですが、なりました。

何か、勝手な解釈ですが、
でも、今回の、そんな流れを受けて、

 「自分の、勝手な願望・想い」
で、
何か強引に、うさと展コーディネーターになる、
のでは なくて、

 「なんらかの流れ、計らい、意図」
によって、
僕たちが、うさと展コーディネーターになれる、

勝手にですが、
そんな風に、受け取ることもできるような、気になりました。

それが、
とても、ありがたかったです。
 
 
調整の結果、
竹ラックは、

僕たちが、車で、
直子さんのお宅に、受け取りに伺うことになりました。

場所は、
静岡県三島。

僕たちにとっては、
約6年ぶりの、三島でした。

千葉県市川市に住む、
僕たちにとっては、

三島は、
 「そこまでは、遠くないけれども、
  でも、しょっちゅう行くところ、でもない」
感じです。

でも、
富士山、湧き水、柿田川、梅花藻、三島大社、
そして、なんといっても、うなぎ …

すてきな、大好きな 場所です。

喜んで、伺うことにしました。

9月の、当日は、
朝から、快晴。

運転する身としては、
好天で、助かりました。

むしろ、
眩しすぎるほどの、陽ざしでした ^^; 。

でも、
途中、富士山は、
その全身を、雲で隠されておいでで、

残念ながら、
お姿を拝んでの、ご挨拶は、
叶いませんでした。
 
 
念のために、
早めに、家を出たおかげで、

予定どおりに、
早く、三島に着くことができ、

柿田川や、
市内を流れる源兵衛川を、
散策したりすることができました。
 

 
 
時間になり、
直子さんのお宅に伺うと、

まず、一番の用件である、
竹ラックを、渡してくださいました。

その後には、
ご親切にも、
お宅に上げてくださり、

お菓子や、果物、お茶、のみならず、
すっごく人懐っこい、とっても可愛い猫ちゃん二匹でも、
おもてなしくださいました。

そんな中で、
いままでは、伺う機会も無かった話などを、
たくさん、お話しくださいました。

「うさと」のことを、
また、すこし、知ることができました。

また、
直子さんが、どんな想いで、
うさと展をされて来たのかを、お聞きできて、
とても、参考になりました。
 
 
その後には、
直子さんのご案内で、

三島大社さまに、
ご挨拶。

 

そして、
最後に、

 「もう、富士山、
  見えてるかも、しれませんよ ^^ 」

と、
近くで、富士山が見えるポイントに、
連れて行ってくださいました。

この日は、
最後に、

頂だけ、
ちょっぴり、
見せてくださいました。

 
 「まぁ、でも、結局のところ、
  肩肘張らず、気負わず、
  自分たちにできる『うさと展』を、
  するしかないよな」
 
 
頂を横に、
帰路、車を走らせる中で、
そんな想いが、覚悟が、湧いていました。

気づかぬうちに、
期待と、それに伴って不安が、
自分の中に、湧き上がっていたのですが、

直子さんのおかげで、直子さんと話せたおかげで、
最終的には、
これまでよりも、肩の力が抜け、気が楽になっていました。


.

うさと座Live

2017年9月11日。

新橋で開かれた、
「うさと座Live」に、参加しました。
 
 
8月の、
京都での、説明会を経て
(過去記事「 うさと展コーディネーター説明会1
うさと展コーディネーター説明会2 」)、

私たちも、
いよいよ、
「うさと展の主催」に向けての、
準備を本格化して行きます。

そこで、
今回は、

「うさと」「うさぶろうさん」のことを、
より深く、知るべく、

うさぶろうさん出演の、
「うさと座Live」を拝見することにしました。

と同時に、

同時開催の、
「うさと展」も拝見して、

「うさと展」のことも、
さらに、勉強しよう!
という、目論見です。
 
 
って、言いながら、
実は、単純に・純粋に、

 「『うさと座Live』が 観たい!」
 「『うさと展』にいって、うさと服が 見たい!」
っていうこと、
なんですけど、ね ^^; 。
 
 
さて、

まず、午後は、
「うさと展」。

主催は、
栗原さんでしたが、

イベントと同時開催のため、
うさとジャパン のスタッフ、やまねさん も、
お手伝いで、いらしていました。
 
 
やまねさんには、
僕は、1ヶ月ぶりでしたので、
あちらも、僕のことを、しっかりと覚えていてくれて、

すんなりと ご挨拶ができ、
そして、「うさと展」のこと、「うさと服」のこと、など、
いくつか、質問をしたり、雑談をしたりすることができ、

とても勉強になりましたし、とても楽しかったです。

ゆうこさんは、
やまねさんとは、初対面。

ご挨拶をして、
夫婦二人で やっていくことを、お伝えできました。

とても良い機会になりました。
 
 
また、
出仙美秋さんも、いらしていて、

また、
夫婦揃っての、ご挨拶ができました。

美秋さんにも、
改めて、夫婦二人で「うさと展」をすることをお伝えし、

今後のことを、事前に、ご認識いただくことができて、
とても良い機会となりました。
 
 
さて、
「うさと展」は、

イベントと同時開催だから、なのでしょうか?
東京都心での開催だから、なにでしょうか?

大盛況でした。
 


(お客さまのお顔は、画像処理させていただいています)

 
 
また、

うさぶろうさんも、
「うさと展」におみえになり、

いつものように、
とても 柔らかく、ご丁寧に、
お客さまと、お話をされたり、
コーディネートして差し上げていらっしゃいました。
 


(お客さまのお顔は、すみません、画像処理させていただいています)

 
 
そうそう、
私たちも、ここで、うさぶろうさんにお会いできたので、

今後、コーディネーターとして、活動させていただくことを、
ここで、ご報告させていただくことができました。

 

 あぁ、そうですか
 それは、よろしくお願いします

と、
ご丁寧に、頭を下げて、ご挨拶してくださいました。

 「いえいえ、
  こちらのほうこそ、どうぞよろしくお願いいたします。」

うさぶろうさんの、ご丁寧なご対応に、
夫婦二人で、平身低頭してしまいました。
 
 
さて、
夕方には、

「うさと座Live」が、始まりました。
 
 
ここでは、
開始前に、

会うのが、1年半ぶりくらいの、
泰平さんに、ご挨拶をして、
お子さんの、小学校進学のことなどを、お話しました。

また、
磯さんにも、はじめての ご挨拶ができ、

2015年の冬至イベント 」のときに お聞きした話が、
津留さん が 言っていた話と、
使う図まで一緒なほど、共通している部分があり、
とても感銘したし、とても共感した旨、お伝えできました。
 
 
イベントでは、

まず、磯さんのお話、
続いて、泰平さんのお話、

そのあと、
KNOBさん、石坂亥士さん、魂宮時さん 、木村俊介さん、茶喜利さんの、
すばらしい、Liveが、ありました。
 


(前から二番目の列から、拝見 ^^v )

 
 
Liveは、
比較的、狭い空間の、
しかも、地下でしたので、

音が、(おそらく独特に)反響して、
「生」で聴く感覚が、さらに強まり、強烈で、

また、
地下で暗く、照明を落とした中に、
強烈なスポットライトを浴びた、
魂宮時さんの 舞い は、

その、動きの、柔らかさ・滑らかさとは、対照的に、
その、(特に、芯に宿った)力強さと相まって、
突き刺さるかのように、視神経に 飛び込んで来ました。

とてもすばらしい、Liveでした。
 
 
その後、
うさぶろうさんも参加された、
「祈り」の儀式があり、
そして、イベントは、終わりとなりました。
 
 
終了後。

出演者のみなさんが、
出口に立って、

私たち、イベント参加者のみなさんに、
一人ずつ、別れの挨拶を、してくださいました。

その際に、
僕は、はじめて、
KNOBさんに ご挨拶する機会を 得られました。

そこで、
僕は、二つのことを、
KNOBさんに、お伝えするのですが、

そこでの やりとりは、
次のような、感じでした。
 
 
 僕「はじめまして」

『はじめまして』の感じが、しませんね ^^

 
 僕「KNOBさんが演奏されている楽器は、『イダキ』ですよね?
   僕の苗字は、『いたき』といいます」

 えっ、そうなの?
 それは、すごい! ^^

 
 僕「それから、2015年の冬至イベント で、
   KNOBさんが イダキを演奏されているところを、拝見したんですけど、
   そのとき、KNOBさんのイダキの中が、薄緑色に、発光しているのが見えたんです。
   僕は、KNOBさんの演奏を拝見したのが、その時が初めてだったので、
   『もしかしたら、演出で、照明でも入れているのかな?』って思ってしまうくらい、
   かなりはっきりと、発光が見えたんですよ」

 えっ、そうなの?
 そういうことを言われたの、2回目だ。
 まえにも、そういうことを言われたことがあるんですよ!

 
他にも、お客さんが いっぱいいらっしゃいましたので、
会話は、そこまででしたが、

ずっと、伝えたいと思っていたことが、伝えられて、
とてもスッキリしたし、とても嬉しかったです。

そして、なにより、
会話をしているときに、

僕は、親近感というか、安心感のようなものを感じることができたし、
KNOBさんも、「初めての感じがしない」と、おっしゃってくれましたので、

なにか、その「感覚」が、
とても嬉しかったです。

 今後、なにか、関係ができると嬉しいなぁ ^^

そんな想いを胸に、
夜の新橋を歩いて、家路に着きました。


.

うさと展コーディネーター説明会2

 
(前の記事、「 うさと展コーディネーター説明会1 」の続きです)
 
さて、
この、2017年8月の、
うさと展コーディネーター希望者のための、説明会には、

スタッフの方が、
5名、いらしてくださっていました。

また、
コーディネーター希望者は、
僕を含めて、
14組・18名が、参加していました。

その、
はじめて伺い、はじめて参加した、その会の、
計23名の中に、

まず、
すでに「顔なじみ」の方が、
2名も、いらっしゃいました。
 
 
一人は、
同じ、東京での「うさと展」仲間で、
うさと展に行くたびに、遭遇し、

また、
僕が、はじめて、うさぶろうさんに お会いしたときにも
(過去記事「 ついに対面 さとううさぶろうさん 」)、
うさぶろうさんに 会いにいらしていて、

僕といっしょになって、「キャッキャ」言いながら、
うさぶろうさんと、写真を撮ってもらった、
斉藤操さん。

彼女も、同じく、
コーディネーター希望で、参加されていました。

そのことは、知らなかったので、
会場でお会いして、ちょっとビックリしましたが、

でも、「彼女なら」という想いも、すぐに湧き、
なにか、納得しました ^^ 。
 
 
もう一人は、
今回、この会の 進行をされた、

ご自身もコーディネーターである、
出仙美秋さん

美秋さんには、
まず、はじめに、

僕たちが、ソムヨットさんにお会いした、
横浜のうさと展で、お会いしました
(過去記事「 ソムヨットさん 」)。

そのとき、美秋さんは、
「白抜きの部分が、茶に染められた、絣」のムササビを履かれていて、

僕は、はじめて目にする、その種の絣に、釘付けになってしまい、
いろいろと、お話しをしたのを、覚えています。
 
 
また、それにつづき、
僕たちが、偶然に、うさぶろうさんに お会いした、
新御徒町での うさと展でも
(過去記事「 うさとのマーク 商品タグ 」)、

うさぶろうさんに 付き添われておいでだった、美秋さんに、
また、お会いし、

横浜でのことを覚えていたくださったので、
いくつか、お話しをしたんだったと思います。
 
 
とにかく、明るく、気さくで、オープンで、
かつ、細かい配慮も してくださり、
責任感と 人情に厚い 「姉御肌(あねごはだ)」^^ な、
美秋さんには、

その後も、
ことあるごとに、
親切にしていただき、助けていただくのですが、

その彼女が、
その会の 進行役だったことで、

まず、和み、落ち着いて、
そして、楽しく、ウキウキと、

話を聞くことができました。
 
 
加えて。

その他にも、

お会いするのは、そのときが はじめてで、
「顔なじみ」ではないけれど、

既にご縁があり、
存在を知っている方が、

なんと、
2組・3名、いらっしゃいました。
 
 
既に縁があった、お一人目は、

サウンドヒーリングやサウンドチューニングをされている、
増川博士の、会社、ユニヴァーサルバランスの、
有馬さん。

有馬さんは、
妻の ゆうこさん が、
ユニヴァーサルバランスの セミナーに参加した時に、
お会いしていて、
そして、妻のことを、覚えていてくれました。

そして、
妻のことを覚えてくれていた にあたっては、
そもそも、
津留さんのメッセージ を お読みくださっていた とのこと。

僕がお会いしたときにも、
 「津留さんのメッセージには、助けられました」
と、
おっしゃってくれました。

その言葉を、ご縁があることを、
とても嬉しく思いました。
 
 
そして、
もうお一組。

仲良くさせてもらっている「うさと仲間」で、
かつ、数多くの「うさと展」に行かれている「うさと展マスター」 ^^ である、
名古屋在住 せつこさん から、

彼女が、
「ワンドロップ聖歌隊」という、聖歌隊に参加していて、
歌を歌っていること、

その本番公演が、12月にあり
そのときの衣装が、『セミオーダーのうさと服』(!)になる旨、
以前から、お聞きしていました。

なんでも、
その聖歌隊が歌う曲の作曲者の、
宮川昭夫さんが、

以前あった、「横浜・うさと店」の、
元店長さんで、
(それ故なのか、)
うさととは、深い結びつきがある、ということ。

そして、
聖歌隊の主催者が、
「清水浦安さん」と「愛宕なみさん」という方々だということ。

それらのことを、
お聞きしていました。

それらの話を聞いたときに、
それらを、妻に話したところ、
妻から、

 「あぁ、その、『清水浦安さん』って、
  もしかしたら、『あの』清水さんじゃぁなぁい?
  たぶん、そうだと思うよ!」
と、言われていました。

そして、そのときに、調べてみて、
そこで、はじめて、
『清水浦安さん』という「お名前・名称」を知り、

そして、そこで、
清水さんの最近のご活動を、認識したのでした。
 
 
清水さんは、
津留さん が、活動を始めた 最初のころから、
津留さんとは、とても深く、ご縁があって、
ともに活動をしていた「仲間」のお一人と、お聞きしていました。

共同でセミナー・ワークショップをしたり、
共著を出されたり、と、
「同志」のように、ともに活動されていたと、お聞きしていました。

その、清水さんが、
現在は、そのような活動されていて、ご活躍で、

しかも、
「うさと」と関わりがおありになられるとのこと。

お聞きして、存じ上げて、
とても嬉しく思っていました。
 
 
で、その説明会での、
参加者自己紹介の際です。

まず、
ある女性が、自己紹介をされたときに、
たしか、「ワンドロップ」という名称を、
出されたんだったと、思います。

 「あっ」
と、思いました。

愛宕さんでした。

そして、それに続いて、
隣に座られた男性が、
「清水です」って、おっしゃっいました。

 「うわぁっ!」
っと、なりました。

 「あっ、清水さんだー!」
と、なりました。

清水さんも、「うさと」にご縁があることは、
お聞きしていたわけですが、

それが、
僕が、彼に、はじめてお会いする、場所・きっかけが、
まさか、「うさと」だとは、

しかも、清水さんも、
「うさと展コーディネーター」になられようとしているとは、
夢にも、思っていませんでしたので、

本当に、ビックリしました。
 
 
説明会の、中頃で、休憩があり、
トイレに行き、用を足していたときに、

そのタイミングで、
隣に、清水さんがいらっしゃいました。

さすがに、「連れション」状態で、
初めましての挨拶も、なんだなぁ、と、思い ^^; 、

先に、トイレから出て、待ち、
後から出て来られた、清水さんに、ご挨拶をしました。

もちろん、清水さんは、
津留さんのことを、よく覚えておいでですから、

そこで、僕のことも 認識していただき、
無事に、ご挨拶も済みました。

続いて、
愛宕さんにも、ご紹介してくださり、
そして、津留さんのことなどを、お話したのでした。
 
 
とてもオープンで、気さくなお人柄の、
お二人は、

最初から、とても親しみやすく、
そして、とても親切にしてくださいました。

今後、新たな関係を築かせていただけることを、
とても嬉しく思いました。
 
 
それにしても、

 「うさとを通じて、縁がある人々と、出会えた」
という事実が、

 「であれば、『僕』も、『うさと』とは、それなりに縁があるのだろう」
という認識を、

ある意味での、
「安心」というか、「自信」というか、
そんなものを、

その時点で、持つことができました。

でも、
これらの出会いは、

本当に、嬉しく、驚きでした。


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うさと展コーディネーター説明会1

それは、
なんの前兆も無く、

ある時、
突然、やってきました。
 
 
2013年6月に、
はじめて、
うさとの服に出会って以来
(過去記事「 うさと服との出会い1 」)、

この4年間、
徐々に徐々に、
「うさとの服」に対する、「愛」が高まり *^^* 、

それに比例して、
「うさと」そのものに対しても、
「愛」「興味」が、
着実に、高まっていました。
 
 
「うさとの服」に対する「愛」は、
正直、
ときに、『自己愛』でした。

 「どれだけ、素敵なうさと服を、着られるか」
 「どれだけ、希少で素晴らしいうさと服に、出会えるか」
が、

なにか、自分の『価値』を表してくれているような、
なにか、そんなふうに感じて、

それゆえに、うさと服を『追い求める』かのように、
うさと展に通い、うさと服を探し求めていた時期も、
あったからです。
 
 
でも、そんな時期も、いつしか、終わり、
そんな気持ちも、いつの日にか、収まりゆき、

そうなってみると、
ただ、純粋に、
 「うさとの服が好き!」
に、なっていました。

そうして、
 「もっと、『うさと』と、関わりたい」
 「今とは、何か違う形で、
  できれば、もっと深く、『うさと』と、関わりたい」
と、
自然、想うようになっていました。
 
 
そこに、
2017年5月の、ある時、
突然、
偶然に、

「うさと展コーディネーター」になるチャンスがあることを、
知りました。
 
 
それまでにも、
何度か、
コーディネーターになることはできないのか、

それとなく、
コーディネーターさんに、聞いてみていました。

でも、
答えはいつも、
 「募集していない」
でした。

単純に、
もう、縁がないもの、と、
認識していました。
 
 
そこに、
突然、
今なら、コーディネーターになるチャンスがあることを、
知りました。

その晩は、
興奮で、
うまく眠れませんでした。
 
 
一夜明けて、
子どもたちを、学校に送り出し、

家事も一段落して、
落ち着いたところで、

妻の ゆうこさん に、
その事実を、伝えました。

躊躇も、迷いも無い、
即答が、返ってきました。

 「応募すれば? やりたいでしょ??」
 
 
僕としては、
 「今なら、コーディネーターになるチャンスがある」
という、事実を、伝えただけ だったのですが、

妻のほうは、
もう、僕の気持ちを、お見通しで、
そして、それを、察し、汲み、

そのうえで、
なんの計算も、迷いも、躊躇も無く、

僕が、コーディネーターになろうとすることを、
当然のことと、受け入れ、
そして、勧めてくれました。

この反応を前にして、
僕の、
 「『うさと展コーディネーター』になりた〜い!」
気持ちは、

抵抗値ゼロで、
こころの底から、大噴出しました。
 
 
そして、迎えた、
2017年8月8日。

僕は、京都にいました。

うさと展のコーディネーターになりたい人への、
説明会に、参加するためです。
 
 
実は、事前に、
希望者は、「基本的に」、みなさん、
コーディネーターになれる、と、
伝え聞いては、いました。

でも、
それは、あくまでも、「伝え聞き」ですし、

仮に、そうだとしても、
それでも、では、説明会では、どんな説明を受け、
そして、どんなことを聞かれるのか、
この先、どんな展開が待ち受けているのか、
すこし、不安になっていました。

それだけ、自分が、コーディネーターになりたいと、
強く、想っているのだ、と、
そのことゆえに、認識できました。
 
 
会場は、
新しく、綺麗な会議室で、

中に入ると、
「スッキリ」という感覚を、感じました。

そこで、
気持ちが、一度リセットされ、リフレッシュされ、
落ち着いた気持ちになれた、と同時に、

それまでは「不安感」で感じられていなかった、
「ワクワク感」が、
全身に、たぎっていることに、気づきました。

急に、
一層、楽しい気持ちが強くなりました。
 

 
 
説明会では、
 「うさと」について
 「うさとの服」について
 「展示会の開催」について
を、
お聞きしました。

なんとなく知っていたこと、も、
ありは、しましたが、

「うさとの仕組み・体制」や、
「うさとの服が、どのように作られているか」について、
特に、「どのような『想い』で、繋がっているか」などは、

はじめて聞くことや、
改めて、認識させられること、
などに、あふれていました。

そして、
今後、このような「こと」「ところ」「ひとたち」と関わっていけることが、
とても嬉しくなりました。
 
 
そして、
事前に聞いていたとおりに、

参加したみなさん、全員が、
基本的に、コーディネーターとして、受け入れられ、

そして、この会のあと、
みなさんが、次のステップに 進むことになりました。

それを聞き、確認できて、
一安心。

と同時に、
さらに高まってきた興奮に、覆い包まれていました。
 
 
次に、
 「あぁ、とはいえ、大丈夫かなぁ?」
 「ちゃんと、お客さまに、来ていただけるかなぁ?」
 「 ” うさとジャパン ” に、迷惑をかけることにならないかなぁ?」
といった、
「不安感」に 再会するのは、

2018年1月の、
はじめての主催うさと展の、
実際的な準備に入ってから、でした。


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うさとのマーク 商品タグ

面白いもので、
うさぶろうさんに、はじめてお会いし、ご挨拶するまで、
3年以上の歳月が かかりましたが、

でも、一度、お会いできた後には、
今度は、立て続けに、お会いすることが できました。

はじめてお会いするまでの期間には、
うさぶろうさんが、体調を崩されて、
タイで休養されていた期間が重なる、
ということを、考慮しても、

不思議なものだなぁ、
と、思わざるを得ません。

とくに、
3月に、横浜でお会いできた、すぐ後の、
(前記事「 ソムヨットさん 」)
2017年4月に、

いらしていることを知らずに、
たまたま 立ち寄った うさと展で、
うさぶろうさんに お会いできたときには、
強く、そう、思いました。

 
その日は、妻ゆうこさんの 親戚の家に行き、
その、帰りの電車が、ちょうど、
「ストゥーディオ オム ファロス」石川さんが主催されている、
うさと展会場「しあん」のある、新御徒町を通ったのですが、

予定していたよりも、用事が早く済み、
うさと展開催時間中に、そこを、通ることになったため、
急遽、途中下車し、立ち寄らせていたのです。

 
伺ってみると、
うさぶろうさんが いらして、びっくり。

うさぶろうさんは、横浜でのことを、覚えていてくださって、
私たちに、気さくに、声をかけてくださいました。

その日一緒に居た、私たちの娘が、
うさくま人形の モモンガを欲しがり、購入すると、

うさぶろうさんが、「プレゼントをあげる」とおっしゃって、
そのモモンガに、
娘の名前と、うさとマークを書いてくださいました。

 
 
さて、うさとには、3種類の人形が、あるようです。


(うさとブログ記事「 うさくま基金 」より引用借用)

 
そのうち、
うさぎさんは、もう、わが家に居ました。

私たちが、一番最初に伺ったうさと展
(過去記事「 うさと服との出会い2 」)で、
娘が、購入したものです。

このうさぎ、
男性の僕から見ても、かわいい〜 ^^


(うさとブログ記事「 あまりにも… 」より引用借用)

 
そして、このたび、
モモンガが、わが家に、やって来てくれました、

胸に、うさぶろうさん直筆の、
「うさとマーク」を、携えて。

 
ところで、
「うさとマーク」といえば、
うさとの、商品タグに、書かれていますね。


これです

 
この、タグの、うさとマーク、ですが、

 「これ、一枚一枚、
  うさぶろうさんの、手書きなんだよ」

っていう話、
お聞きになった方も いらっしゃると思います。

僕も、耳にしたことがあります。

でも、それは、
以前の話で、

今は、そうではないそうです
(はんこ、ですかね?)。

 
ただ、
この、タグ、

一枚一枚、手漉きで作られている、
というのは、
今も、そうらしいです。

しかも、竹の、手漉きです。

個人的には、
そこに、うさとの「気品」を感じさせられます。

 
また、
この、タグが、商品に結びつけられている、
紐(ひも)も、

製品と同じく、
「手紡ぎ、草木染め」の紐で、
そして、基本的には、その商品と同色のものが使われています。

すごいこだわり様、ですよね。

これまた、個人的に、
うさとの商品が、すべて、「アーティスト作品」である、
というプライドを、感じさせられます。

 
さて、うさとの「商品タグ」でいうと、
そこには、この写真ように、
商品の、「素材」と「染め」が、書かれています。

この写真の例で言えば、

 
その商品は、
Hemp(ヘンプ)50%、Cotton(綿)50%の、布が使われ、

その布は、
Indigo(藍)で染められた、Indigo Dye:藍染め になります。

 
素材には、
Cotton(綿)、Hemp(ヘンプ)の他に、
Silk(絹)があります。

そして、
たとえば、「Silk50% Cotton50%」のような、
「シルクコットン」という素材もあれば、

先と同じ、「ヘンプコットン」であっても、
「Hemp80%、Cotton20%」のように、
使われている割合が異なるものもあります。

 
また、染めには、
先の「Indigo Dye:藍染め 」の他、

「Natural Dye:草木染め 」や、
「Ebony Dye:黒檀染め」、
「Lac Dye:ラック染め」などがあります。

染め については、
先に、「シルクの藍染め」について、触れましたが
(前記事「 ソムヨットさん 」参照)、

僕は、まだまだ、よく分かっていないので、
これから、知識・理解が増しましたら、
ぜひ、また、お伝えしたいと思います。

 
なお、染めのところに、
「Natural Color」と書いてあったら、

それは、「無着色」、染めてないもの、そのままの色、
ということです。

なので、たとえば、
茶色の商品なのに、「Natural Color」と書いてあったら、

それは、
「草木染め」の茶色、ではなく、
天然の茶色、
つまり、「茶綿」ということになります。

「茶綿」は、また、とても魅力的なのですが、
これについても、また、稿を改めて、記します。

それから、
「金色」「黄色」なのに、
「Natural Color」と書いてある、シルク製品でしたら、

それは、
天然の金色の、シルクです!

「黄金繭」と、呼ばれているそうです。

これについては、
うさとジャパンのブログ記事「 うさとの服ができるまで ②シルク編 」を、
ぜひぜひ、お読みください!

(僕は、読むたびに、感激&興奮 しちゃいます! ^^ )

 
以上、うさとに関する、基本的な情報でした。

素敵なうさとライフを送る上で、
どうぞ、お役立てください。
 

ソムヨットさん

2017年3月のある日、妻ゆうこさん から、お誘いがありました。

 「横浜に行かない?」

 あれ? 2週間ほど前に、娘と二人で、横浜に行ってきたばかりの ゆうこさんが、
 また、横浜?

そんな疑問を持って、聞いてみると、

 「横浜の、滝本さんの うさと展に、
  うさぶろうさんと、ソムヨットさんが いらっしゃるんだって。
  どうも、行ったほうがいい気がするの」

うさと展コーディネーターの、「ふるさと工房」滝本久美子さんから、
横浜馬車道での、うさと展のご案内を、ゆうこさんが メールでいただいて、

それを読んだ瞬間に、
「とにかく、行ったほうがいい」と、感じたのだとのこと。

ゆうこさんの、そういう直感は、
これまでにも、
何らかの意味があったり、何らかの展開を もたらしてくれました。

そう、誘われれば、断る理由はありません ^^ 。

2017年3月19日、
二人で、横浜に伺いました。

 
うさぶろうさんに、はじめてお会いして、約半年
(前記事「 初対面 」)。
また、お目にかかれる機会が やってきました。

ゆうこさんにとっては、
今回が、はじめての、うさぶろうさんへの ご挨拶です。

 
そして、今回は、
なんと、ソムヨットさんに、お会いできます!

タイ・チェンマイの、うさとの拠点で、
うさぶろうさんと一緒に、うさとを 支えている方です。

どんな方なのか、お会いしてみたいと 思っていました。

胸膨らませて、横浜へ向かいました。

 
会場につくと、
すでに、多くのお客様とともに、
うさぶろうさんも、ソムヨットさんも、お見えでした。

うさぶろうさんは、
いつものごとく、お客様に、コーディネートのアドバイス。

お客様も、嬉しそうに、薦められる服を着たり、
また、好みを伝えて、更なるアドバイスを求めたりしています。

ゆうこさんも、
めでたく、うさぶろうさんに、ご挨拶ができた後、

着て来た服を、より上手に着る方法を、
丁寧に着させていただきながら、教えていただきました。

 
服を触り、扱う、うさぶろうさんの様子は、
とても柔らかで、丁寧で、優しく、
改めて、感心するとともに、感激しました。

その後、僕も、改めて、ご挨拶ができ、
そして、3人での写真も、撮っていただくことができました。

 
 
さて、一方、ソムヨットさんですが、
とても印象的だったのが、

お客様みなさんが、服を手に取り、試着される様子を、
とても楽しそうに、かつ、興味深そうに、ご覧になっていたこと、

そして、
何度も、会場の、服のディスプレイを、手直しされていたこと、
です。

 
普段、生産の現場にいらっしゃる為、
お客様が、服と接する機会を目にすることを、
とても楽しまれているのでは、と、認識しました。

また、ディスプレイの件は、
根っからのアーティストなのだと、感じました。

細かく、何度も、手直しされては、
満足そうに、楽しそうに、微笑んでいらっしゃいました。

 
その、美しくディスプレイされた様子は、
主催者の滝本さんも、写真に収めておいででした。

 
 
ところで、写真のとおり、
滝本さんは、その日も、「白絣(しろがすり)」を、着ておいででした。

僕が、うさとの服に出会ってから、はじめの3年近くは、
「絣」の服に、まったく出会うことができませんでした。

ところが、長年、うさとの服を着ている方に出会うと、
たいてい、みなさん、とっても素敵な絣を、着ていらっしゃるのです。

僕も、ぜひ着たいとの想いが、募っていきました。

でも、まったく、出会うことができません。

作るのにとても手間のかかる「絣」は、
どうやら、今、作られていない、との情報でした。

そう聞くと、
想いは、より一層、募っていました。

 
それが。
昨年に入ってから、急に、
絣の服が、うさと展に出るようになってきました。

そして、僕も、ようやく、
とっても素敵な絣を、手に入れることができたところでした。

でも、それが、
「在庫」としてあったものが出ているのか、
それとも、新たに作られるようになったのか、
分かりませんでした。

また、その状況でも、なお、
「白絣」の服には、まだ、出会えていませんでした。

「絣」よりも、さらに遥かに手間のかかる「白絣」ですが、
そんな製作事情を知らないときから、
素晴らしく素敵に、感じていました。

そんな「白絣」に、今後、果たして出会えるのか、
知りたいと思っていました。

それらのことを、
ソムヨットさんに、直接、お聞きすることにしました。

(「絣」「白絣」については、
 うさとのブログ記事「 絣(かすり)の話 」を、ぜひ、ご覧ください)

 
僕の、「絣」「白絣」についての質問に、
ソムヨットさんは、笑顔で、丁寧に、答えてくれました。

絣は、それまでの、タイではなく、
ラオスで、新たに、作られているそうです。

先ほどの、ソムヨットさんのディスプレイの写真にも、
絣の服が、2枚も、映っていますが、
しかも、けっこう手の込んだ柄ものですが、

最近は、さらに手の込んだ、複雑な柄の絣が、
たくさん、出てきていますよね。

そう、お聞きできて、
とても嬉しく思いました。

ただ、「白絣」については、
やはり、さらに手間がかかるので、
今のところ、作られる見込みは無いとのことでした。

 
そして、もう一つ、
常々、疑問に思っていたことを、お聞きしました。

僕は、シルクも大好きで、
その日も、赤のシルクのジャケットを、着て行ってたのですが、

シルクに関しては、紫を含めて赤系のものが多く、
また、その他にも、黄色や、黒・茶系のものなどを、見受けるのですが、

青・藍のものを、目にしたことがありません。

服については、藍染のものは(先の絣も含めて)多くあるのに、
なぜ、シルクには、青・藍が無いのか、

あれば、コーディネート上、とっても重宝するであろうから、
とても欲しいと思っていたので、

そのことを、お聞きしました。

 
お答えとしては、
やはり、藍染めのシルクは、うさと服には、無くて、

それは、
タイやラオスの文化では、シルクを藍染めしないから、
というか、うまくできないから、
とのことでした。

日本では、絹を藍染めするときには、
まず、呉汁(大豆のつぶし汁や煮汁)で、一度煮て、
その下処理の後、染めていて、

そうすることで、ようやく、
しっかりと、染めることができるのだそうです。

ところが、タイ・ラオスには、
その、大豆液で前処理をする文化が無いから、
上手く(濃く)染めることができず、
なので、作っていないのだ、
との、ことでした。

疑問に思っていたことの答えを知ることができ、
とてもスッキリしました。

 
さて、
それらの、質問に対する答えをお聞きしていて、
思ったこと、感じたことが、いくつかありました。

 
まず、
僕の質問に対して、
ソムヨットさんが、
とても丁寧に、かつ、とても楽しそうに、
お答えしてくださったことです。

服のこと、うさとのことが、
心底お好きなんだなあと、感じました。

 
それから、
シルクの藍染めに関してですが、

まず、ソムヨットさんが、
日本での、絹の染め、藍染めについて、ご存知あること、
そのことに、さすがだと思いました。

どうやら、日本に留学経験があり、
日本の伝統的な手仕事などには、かなり造詣が深いようです。

 
そして、何より、
その、シルクの、藍での染め方をご存知なのに、
その染めを、タイやラオスの生産者に、要求しないこと、
そのことを確認でき、そのことに感銘しました。

ソムヨットさんが、生産者の方々に、要求・要望しないことは、
うさぶろうさんの本を通しても、知っていましたし、

それだけでなく、
うさとそのものが、生産者の方々に、
なにかを要望したり、期日も設けたりしないと、聞いていますが、

その事実を、
改めて、確認できる出来事でした。

 
なので、
先の、白絣に関しても、
ソムヨットさんに、ぜひ、作っていただきたいと、
僕は、要望してしまったのですが ^^; 、

ですが、まず間違いなく、
ソムヨットさんは、生産者の方々に、そうすることはないでしょう。

白絣に関しても、藍のシルクに関しても、
期待せずに、待つしかないのだと、
その日、そう、悟りました。

 
さて、この話、
いつもながら、続きがあります。

 「藍のシルクは、うさとには、無い」
そう、おっしゃった はなから、

 「でも、ちょうど、うさぶろうさんが、今日、
  藍染めのシルクのマフラーを、して来ているはずだよ。
  ねぇ、あのマフラー、どこ? 見せて」
と、
ソムヨットさんが、うさぶろうさんに、話しかけます。

それを聞いて、
うさぶろうさんが、鞄の中から、シルクのマフラーを取り出し、
そして、それを僕に渡してくださいました。

たしかに、藍染めでした!

詳しい話は、失念してしまったのですが、
たしか、試作品のようなもので、
うさとの商品としては、出る見込みの無い、一点ものなのだとのこと。

たしかに、
サイズこそ、普通のうさとのシルクマフラーよりも、小さめでしたが、

でも、色は、かなりしっかりと、深めに、染まっていて、
織りも、きちんと、うさとクオリティーでした
(このページの写真の、うさぶろうさんの首元を、ご覧になってみてください)。

その日、話題に上ったものが、
しかも、「それは、無い」と言ったものが、
そこに在る、という『偶然』 …

さすが、いつもながらの、うさとマジックと、笑いました。

そんな流れから、みな、笑顔あふれる表情での写真を、
記念に、撮らせていただきました。

 
 
続きを、もう一つ。

この写真を撮った後、
ソムヨットさんのほうから、僕に近づいて来てくれて、
改めて、握手をしてくださいました、

顔には、満面の笑みをたたえて。

ソムヨットさんの、優しいお人柄を、
見ることができました。

ただ、その、ソムヨットさんの行動は、
僕には、想定外で、
しかも、突然で、勢いがあっため、

僕は、右手で受け取った、先の写真を撮ってもらったスマホを、
慌てて、左手に持ち替え、
そして、握手をしていただいたのですが、

その際、慌てていたために、
写真アプリのままのスマホの画面に、指が触れてしまい、
写真が2枚、偶然に、撮れてしまいました。

 
そのうちの1枚が、下の写真です。

 
ソムヨットさん、素晴らしい笑顔ですよね ^^ 。

見るたびに、
ソムヨットさんとの出会い・会話を思い返し、そして、温かい気持ちになる、
かけがえのない、記念の写真となっています。

こんな写真が、意図せず、『偶然』に、撮れてしまう …

これも、うさとマジック、ですかね ^^ 。
 

ついに対面 さとううさぶろうさん

うさぶろうさんに、初めて、ご挨拶できる機会は、
2016年夏至のイベント(前記事「 イベント 2015年冬至・2016年夏至 」)の後、
すぐに、やってきました。

うさと展コーディネーターの、GREEN DOOR 野口さん が、
東京日本橋でのうさと展に、うさぶろうさんが来てくださる旨、
ご案内をくださいました。

躊躇なく、伺うことに決めました。

 
夏至のイベントから、約2ヶ月後の、
2016年8月27日、

東京日本橋「ロータスエイト・ライブラリー」に、
一番乗りで、駆けつけました。

うさぶろうさんは、午後、いらっしゃるとのことでしたので、
それまでの時間、うさとの服を拝見しながら、
短い首を長くして ^^ 、到着を待っていました。

 
うさぶろうさんは、汗だくで、
お見えになりました。

日ごろ、タイに住まいで、
その日も、奄美から飛行機でいらしたという うさぶろうさんでも、
まだまだ真夏の、夏休み期間の東京の暑さは、厳しいようでした。

それにしても、
連日、各地を飛び回っておられるとのことでしたが
(実際、その日は、奄美からいらしたわけで)、
とてもお元気で、とてもエネルギッシュでした。

加えて、絶えず笑顔をたたえて、
分け隔てなく、その場のすべての方に気さくに接し、
そして、来場者におみやげのお菓子を持参する心配り …

その場のみなさんが、一気に、惹き付けられていました。

 
うさぶろうさんは、
まず、雑誌の取材を受けられました。

その会場の、Lotus8さんは、
ヨガ教室などをされていて、
ヨガ雑誌「Yogini」を出版されているのだとのこと。

 「あっ、もしや」

そう思い、周りを見回すと、
ちょうど、そこには、「Yogini」のバックナンバーがあります。

可能性のある号を、流し読みしました。

ありました。
あの、上賀茂神社の服が、そこには、載っていました
(過去記事「 上賀茂神社 式年遷宮 」)。

 
その偶然に、ビックリしました。

あの後、例の女性から、
あの服が、雑誌に掲載されたという情報を、教えていただいたのですが、
なかなか、その雑誌を見ることができずにいました。

それが、その出版元で、その雑誌を目にすることになり、
しかも、その日は、
うさぶろうさんにお会いできるとのことで、
ちょうど、その服を、着て来ていたのです。

この服に関しては、
『偶然』が、多過ぎますね ^^ 。

いえ、この服に限らず、
「うさと」の世界では、
このようなことは、日常茶飯事なのでしょうね。

 
さて、
取材を終えられた、うさぶろうさんと、
ようやく、初対面、ご挨拶ができました。

 「あれ? どこかでお会いしましたよね?」
僕の顔を見るなり、うさぶろうさん。

 「この間の、夏至のイベントで、スタッフされてたから、
  その時ではないですか?」
野口さんが、そう、おっしゃいました。

野口さんも、イベントに参加されていて、そこでお会いして、
僕がスタッフをしたことを、ご存知だったからです。

 「あぁ、そうですか … 」

ちょっと、曖昧なご返答でした。

 
その後、来場者に、服のコーディネートなどをなさったあと、
一人一人と一緒に、写真を撮ってくださることになりました。

僕の順番が来ました。

 「どこかでお会いしましたよね?」
と、もう一度、うさぶろうさん。

 「だから、うーさん、この間のイベントで ・・・」
と、野口さん。

 「あぁ、そうでしたか … 」

同じやり取りが、もう一度、繰り返されました。

その様子を、とても興味深く、拝見しました。

そして、その日、絶えることのなかった、素敵な笑顔を携えて、
一緒に、写真に、収まってくださいました。

 

イベント 2015年冬至・2016年夏至

2015年には、うさと展に行くと、
「うさぶろうさんが、すこし、お具合いが芳しくない」
という話を、何度か、耳にしていましたが、

上賀茂神社の、式年遷宮・正遷宮のころには
(10月15日。 前記事「 上賀茂神社 式年遷宮 」)、
もう、回復されたとも、耳にするようになり、
機会があれば、お会いしたいなぁ、と、思っていました。

そんな折、
その年の、冬至明け、2015年12月23日に、
山梨県北杜市長坂町で、泰平さんたちのイベントが開かれ、
うさぶろうさんも、出演されるとのことでした。

大掛かりのイベントでしたので、
お会いしたり、ご挨拶したりは、できないと、分かっていましたが、

妻が、聞きに行きたいとのことだったので、
それでは、と、子ども二人も連れて、家族で、
冬の八ヶ岳に向かいました。

 
当日は、僕は、例の、上賀茂神社の際の、服を着て行き、
また、会場では、例の、その時の女性とも再会し、そのご主人にもご挨拶でき、

そんなことから、僕は、
10月からの流れの続きとして、そこに参加したのだと、認識していました。

 
僕は、泰平さん主催のイベントは、初めてでしたが、
出演者のみなさんのお話を、
楽しく、拝聴することができました。

とくに、磯正仁さんのお話は、
ビックリするほどに、
20年ほど前に、津留さんが話していた内容と一致していて、
使う図まで、一緒で、同じで、
とても興味深く、お聞きできました。

また、Knob(ノブ)さんの、ディジュリドゥの演奏は、
その演奏の最中に、
ちょっと、ビックリする出来事を目撃して、
目が覚めるような感覚を感じたりしました。

 
うさぶろうさんは、
泰平さんとのトークをなさって、

体調が優れないときには、すこし、鬱のような感じになってしまっていたけど、
料理を作って、手を使っているうちに、回復されたこと、

手を使うことの大切さ、食の大切さ、
また、手仕事で作られている「うさとの服」の素晴らしさを、再認識されたこと、

そのようなことを、話されていました。

うさぶろうさんが登壇されると、
泰平さんが、「おかえり〜」と声をかけ、
みなさんが、拍手で迎えられていて、

その様子に、
うさぶろうさんが、感涙されていらしたのが、印象的でした。

 

 
 
また、翌、2016年の夏至明け、
2016年6月22日には、

同じく、山梨県北杜市の、身曾岐神社(みそぎじんじゃ)で、
同じく、泰平さんたちのイベント「よあけて であえて」が開かれました。

こちらも、うさぶろうさんが、出演され、
そして、今回は、衣装も、担当されるとのことで、

やはり、妻が見に行きたいとのことだったので、
こちらも、子どもたち二人も連れて、伺いました。

ただ、今回は、僕は、スタッフとして、
設営・準備および片づけを、お手伝いしました。

 
前日は、晴れ間も見え、準備は、順調に終わりましたが、
さすがに梅雨の最中、当日は、小雨もちらつきました。

でも、イベントの間は、雨に見舞われることもなく、
結局、片づけが終わるまで、空は、持ってくれました。

 
「スタッフ」として、裏方の仕事はありましたが、
ですが、イベントの間は、持ち場の仕事がなく、
客席横から、イベントを見ることができました。

加えて、うさぶろうさんから、スタッフ全員に、
お揃いの衣装として、うさと服のプレゼントがありました。

 
舞台の裏で、うさぶろうさんと すれ違うことがあり、
その際に、衣装のお礼は言えましたが、

当然ながら、とてもお忙しそうで、
それ以上、ご挨拶をしたりは、そのときも、できませんでした。
 

上賀茂神社 式年遷宮

はじめて手に入れた、うさとの服には、
すこし、不思議な出会いを感じたことを、書きましたが
(前記事「 うさとの服との出会い2 」)、

「不思議な出会い」といえば、
この服との出会いにも、とても不思議な出来事がありました。

 
この服と出会い、購入したのは、
うさと京都店 でのことです。

その日は、
金土日に行う、大阪での個人セッションなどを控えた、
2015年10月15日(木)でした。

 
店に入ると、
入り口正面の位置に吊るされていた、その服に、
すぐに、目が行きました。

鮮やかな、緑色。
見事な、名人織り。
しかも、ロング丈で、その、見事な布が、贅沢に使われています。

手に取って、ラックから出し、服の正面を見てみると、
しかも、柄が、斜めに、入れられています。
その手の入れられ様、手間の込められ様に、
頭がクラクラしました。

 
すぐに、試着させてもらいました。
サイズも、ピッタリです。
素晴らしく、素敵な服でした。
とっても、気に入りました。

でも、すぐに、ラックに戻しました。
購入しないことに決めたからです。

まず、丈が長い、そのデザインだと、
あまり着る機会が無い、着こなせないと思いました。

それに、なにより、素晴らし過ぎました。
素晴らし過ぎて、僕にはもったいないと思いました。

着る機会もあまりないだろうし、素晴らしすぎる。
他の、よりご縁のある方が、着るべきだろうと思いました。

 
すると、僕がラックに戻すやいなや、
店にいらした、別の女性のお客様が、
その服を、手に取りました。

僕が着ているのを見て、その服を気に入ったとのことです。
僕が着るまでは、その服の存在にすら、気づいていなかったけど、
僕が着ているのを見て、素晴らしいと思われたとのことです。

ご主人用に良いのでは、と、おっしゃいます。
すぐさま、写真を撮って、ご自宅に居るご主人に、それを送ります。

「買う?」メールを送ります。
「買って!」ご主人からの返答です。
「サイズが、あなたには小さいけど、大丈夫かな?」
「君が大丈夫だと思うなら、いいと思う」と、すぐに返答。
女性は、買うことに、決められたようです。

 
そこに来て、すこし、残念な、惜しい気持ちが、
僕の中に、湧いてきました。

素晴らしい服が、目の前で、他に行っていまう流れに遭遇して、
やはり、惜しい・残念という気持ちが、して来ました。

でも、だからといって、
「やっぱり、僕が買います!」と言うまでには、行きませんでした。

やはり、
 「このデザインだと、あまり着る機会が無いだろう」
 「それに、僕には、もったいない」
と、思いました。

そこで、あれこれ考えるのを止め、
流れに身を任せて、事を静観することにしました。

 
すると、とつぜん、その女性が、
 「でも、やっぱり、夫にはサイズが合わないし、それに、似合わない気がする」
と、言いはじめました。

 「いや、あなたのほうが、似合うと思う」
とまで、言い出しました。

僕に向かって、
僕に譲り、購入を勧めることまで、言い出しました。

さらに、
 「じゃあ、ペンデュラムで訊いてみる」
と、
ペンデュラムを出し、ダウジングを始めました。

その服に、その服を着るのは誰が良いか、を、
質問するとのことでした。

結果、僕が、選ばれました。
 「あなたが買って、着たほうがいいわ」

 
そのような展開になって、そこで、
僕は、その服を購入させていただくことに決めました。

その服を購入しないつもりでいたのは、
気に入らないからなどではなく、
むしろ、もったいないし、そして、「良すぎる」からで、
ある意味、遠慮したようなところがあったからです。

ところが、
周りが、周りの環境が、宇宙が、服が、

僕に、「惜しい」という気持ちを起こさせ、
そして、僕に、「買いなさい」とまで、言ってくれた展開を受けて、

そこで、ようやく、
素直に、受け入れ、服に来ていただく気になれました。

このような出来事から、
僕は、その服を、入手することになったのでした。

 
うさと展では、うさとの服に関しては、
とても良く、
 「服は、作られた時から、誰のところに行くか、決まっている」
とか、
 「着るべき服には、巡り会えるから、焦る必要は無いよ」
とか、言われます。

でも、そうは言われても、
やはり、エゴは、
 「素敵な服に、出会えるように」
 「それを、他の人に、取られないように」
と、

なにか、焦ってしまったり、
できるだけ早めに、うさと展に行こうと、してしまうものだと思います。

少なくとも、僕は、それまで、
出来るだけ、うさと展の初日に、しかも、出来るだけ早い時間に、
行こうとしていました。

それは、それで、ある意味当然のことだと思います。

実際、僕の場合も、
そうすることによって、お気に入りの服たちに、出会えてきました。

 
でも、そのときの一件以来、

たとえ、自分のほうで、遠慮するようなことがあったとしても、
まわりの人から、服のほうから、
購入を促してくれるようなことがあるんだ、
そして、その結果、自分の手元に来てくれるんだ、ということを、
自分自身の体験として、経験したことで、

焦るように、素敵なうさと服を欲する気持ちは、
すこし、治まりました。

それ以来、
もっと気楽に、楽しく、うさと展に行くことができ、
より心穏やかに、うさと服と接することができるようになりました。

それは、僕にとっては、
とてもありがたい、貴重な経験でした。
 
 
さて、この話には、続きがあります。

無事、件(くだん)の服を、入手することになり、
お会計を済ませた後に、

先の女性から、声をかけられました。

 「ところで、今日は、なんで京都にいらしたのですか?
  上賀茂神社にいらしたのですか?」

 
はじめに書きましたが、
僕は、翌日からの、週末に、
大阪で、個人セッションなどをするために、関西に来ていて、

その前に、うさと服を見るために、
その日、京都に寄ったのでした。

そして、
大阪でのイベントを、その週末にすることを決めたのは、
その土曜日である10月17日が、
津留さん( 津留晃一 )の、命日だったからです。

 
僕は、その質問の意味が分かりませんでしたので、
その女性に、尋ねました。

 「上賀茂神社、って、どういう意味ですか?」
 
 「いや、今日は、上賀茂神社の式年遷宮の正遷宮だから、
  それを見にいらしたのかと思って。
  私は、それで来たのよ」
 「良かったら、一緒に見に行かない?
  私、車で来てるんだけど」

 
その日は、
僕にとっては『偶然』にも、
上賀茂神社さまの、21年に一度の式年遷宮の、

修復された本殿に、御神体をお遷しする、
正遷宮が、執り行われる日だったのです。

それら、一連の、『偶然』に、
今度は、ためらうことなく、
上賀茂さまに、伺うことにしました。

 
境内に入って、参列臨席することは、
叶いませんでしたが、

でも、幸いにも、
鳥居の手前、一番前から、
見える範囲で、その儀式を、終始、拝見することができました。

儀式そのものにも、
自分が、そこに居て、それを見ていることにも、
すべてに、

「非現実的」とでもいうような、
あやうさ・あやふやさの漂いを、感じながらの、拝見でした。

 

 

儀式終了後に、
「記念に」と、
写真を撮っていただきました。

後に、それを目にして、
 「あの服を、正遷宮の場にお連れすることが、僕の役割で、
  一連の出来事は、そのために起きてきたことのなのでは」
と、思うようになりました。

 

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